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一九六二年に最初の「全国総合開発」が策定されたが、その一環として同年、「新産業都市開発計画」が制定される。
同法に基づいて新産業都市十五カ所が指定され、その建設が開始されることになるが、これは拠点開発(グロウスボウル)方式によって地域開発を推進するものであり、一九六五年以降、その効果が実現されていくことになる。
これに続いて一九六九年には「新全国総合開発計画」(いわゆる新全総)が策定された。
これは新幹線網・高速道路・本四架橋などの大規模プロジェクトを開発の目玉として地域開発を本格的に軌道に乗せていったものである。
その結果、六大都市よりも地方都市の土地価格上昇が顕著となり、地価上昇は全国化していくことになる。
この時代、大都市圏では平坦地だけでなく、丘陵部から山間部にかけて宅地造成が進み、ニュータウンや大団地が流行となっていった。
しかし住宅の量的充足を基本に推進したあまり、いわゆる〃ウサギ小屋〃と言われるような質の悪化をもたらす結果となった。
そして、住宅難・公害・通勤難などの都市問題が益々深刻化していった一九七一?一九七四年にはバブル時期に匹敵するような土地投機が起こるのである。
理由は一つあった。
第一の理由としては、三大都市圏の過密対策としてなされた田中内閣による日本列島改造政策によって全国に開発ブームが起こったこと。
第二にニクソンショック以降の円高と輸出増進、大幅な金融緩和によって過剰流動性現象が起こり、大企業が株式や土地を買い漁ったためである。
一九七七年月三十一日現在で、資本金一億円以上の企業の所有地が、一九七五年(一九七四会計年度)に地価は前年に比して公示価格で九・二%の下落となる。
これは一九七三年秋の石油ショックに始まり、一九七四年に世界的な不況が深刻化した影響が大きい。
三大都市圏への人口集中はとまり、人口は一九七五年の国勢調査がJターン現象と呼ぶような地方分散を始める。
この影響から地価は下落を始めるのである。
産業面では、ハイテク化・情報化・サービス化の進行による産業構造の変化が見受けられる。
ハイテク化は工業と研究教育施設の結合、情報化は政治や文化の存在を必要とし、サービス化は法人サービスの拡大、いずれも東京を中心とする大都市の産業の促進となっていった。
こうした産業構造の変化により、再び大都市圏へ人口が集中し始めたのである。
東京都区部面積の約十三・五倍の七十八万三千六百七ヘクタールに達したが、そのうちの二十万ヘクタールが一九六九年一月以降に取得したものであった。
これを支えていたのが金融機関の土地融資で、最盛時の一九七三年には全国銀行貸出残高の約八%に達している。
このため、一九八○年代に入ると地価はゆっくりと上昇し始める。
この時期の特徴としては、三大都市圏、特に都心におけるマンション建設と、衛星都市におけるミニ開発が進んだことである。
またこの当時は一九七○年代半ばの世界的な不況の影響が残っており、民間設備投資に替わって、公共施設や民間住宅投資が活発化し、これが地価上昇の原因ともなった。
しかし全般的に一九八○年代前半の土地価格は不安定であり、一九八一年の不況とともに、再度地価は下落に転じた。
特に地方都市や農村の地価の下落が目立ったと言える。
ご存知の、いわゆるバブル現象が顕著になった時代である。
このバブル時代の先鞭を打ったのは一九八八年までの東京であり、その大波は大都市圏や県庁所在地に、やがて各種リゾート地にまで波及していった。
この異常な地価高騰は、経済・政治・文化など、あらゆる機能の東京圏一極集中による、土地需要から始まり、やがて全国的な土地投機となっていった。
しかし一方では、一九八八年あたりになると、地価のあまりの高騰のために土地取引自体が困難となり、東京都内では下落の傾向が出始める。
そしてその都内の下落傾向とともに、東京郊外へ、そして地方都市へとその大波が波及していくことになる。
一九八七年にはリゾート法が施行されているが、これにともないゴルフ場、スキー場、ョツトハーバー、リゾートマンションなどのリゾート基地や、その候補地の買収が進み、一部の農山村の地価も上昇していった。
この結果、日本の国土の地価総額はアメリカ国土のそれの三?四倍になるという異常事態になり、また日本国土全体の四%しか占めない東京都区部の地価は、日本全体の地価の一三%にまで達したのである。
この状況下で、東京とそれ以外の地域格差は広がり、第一次過疎化と言われるような国土問題まで起こすようになっていった。
このような異常な時代を招く原因となったのは、大きくは以下の四点が原因であった。
一九七○年代、東京圏は一本の新幹線、東京港、成田空港、つくば研究学園都市、そして地下鉄を中心とする都市交通網によって、日本のほかの地域に比較して卓越した産業基盤をつくっていった。
その結果、国内大企業のみならず、外国の多国籍企業の大部分が東京に集中した。
その結果が、東京都心のオフィス需要増加となったわけである。
外部的な要因としては、金融自由化や世界経済に占める日本経済の地位向上によって、東京がニューヨークやロンドンと並ぶ国際金融センターに成長する気配が濃厚となったこと、また東京には顧客情報や、金融・国際情報など企業活動に必要なさまざまな情報が大量にかつ種々のメディアによって供給されるようになり、それを収集するために事務所を開設する必要に迫られたことである。
とにかくこの時代、東京圏という範祷が交通網の発達により甲信越を含む広域に広がったことで、中枢管理機能の集積を促すことになり、さらに地価の高騰に拍車をかけることになった。
一九八○年代には貿易黒字の拡大が顕著となり、金融緩和路線の過程でマネーサプライは増加を続けた。
この状況のなか、外需が減退する一方で、内需についても個人消費は力強さに欠け、公共投資も緊縮財政によって抑制されて、民間の設備投資意欲も減退していた。
このため、いわゆる「カネ余り現象」が生じて財テクが活発となり、各企業は余剰資金を株式・絵画・不動産投資につぎ込んでいった。
金融機関の不動産業に対する融資の動向を、全国銀行勘定における不動産業向け設備資金新規貸付額に見ると、一九八五年頃から急速に拡大していることが分かる(図表皿)。
この時期の不動産業向けの貸付額の伸びはほとんどの期間において全業種の伸びを上回っており、特に一九八七年一月から九月にかけて著しい伸びが見られる。
また当時の法人企業統計季報によれば、法人の土地保有額もかなりの増加を示している。
とにかく金融緩和が投機的需要を刺激し、投機的な土地取得が頻繁に行なわれたのである。
民営化による土地払い下げ一九八○年代の行政改革は民営化と規制緩和が柱とされた。
一九七一?一九七四年の〃第一回〃バブル時代には国土庁なる新たな省庁がつくられている。
その目的はバブルに対峠し、国土利用計画法に基づいて緊急の土地対策を行なおうとするものである。
そして例えば国土利用計画法第十二条によって、規制区域を決め土地売買の許可制を採用すれば、指定公告地域は公示価格で凍結できるはずであった。
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